呉三桂とは 李自成が明を滅ぼすと山海関を守っていた呉三桂。ヌルハチは、清の初代皇帝ですが、国号は「清」では無く、まだ「後金」でした。どこが誤文か教えてください

「李自成が明を滅ぼすと山海関を守っていた呉三桂は清に投降し、清軍を関内に入れた
ヌルハチの率いる清軍は李自成の乱を鎮め北京を占領した 」

お願い致します… 7。農民反乱のリーダー 李自成リーツーチァン;りじせいが明ミンを滅ぼす
と。「順」じゅんの皇帝に即位することを宣言。緊迫化する事態を受け。
「山海関」の防備を担当していた明の武将 呉三桂ウーサングイ;ごさんけい。
?年は次降参して李自成の政権のいうことを聞くぐらいなら。清を
山海関のゲートから導き入れ。代わりに李自成を特に関所をひらき清軍を北京
に導いたに呉三桂ごさんけいには。格別の功績が認められた。

呉三桂。呉三桂 明に仕える有力武将であったが。李自成の反乱を機に清に降服し。清軍を
先導して北京入城をとげた。その功績で清では藩王となった。しかし。康煕帝の
藩王勢力削減策に反発して1673年に「三藩の乱」を起こしたが鎮定された。
呉三桂 はじめ明の部将として山海関の守りについていたが。明が李自成の乱で
滅亡すると。自ら清軍にくだり。清軍の先導その情報を得た呉三桂は激怒し。
態度を一変させ。清に投降して援軍を乞い。李自成軍に矛先を向けたのだった。呉三桂とは。李自成軍が北京を陥れると,三桂は敵であった清軍のドルゴン 多爾袞にくだり
,清軍の先導となって北京から李自成を追三桂は天下都招討兵馬大元帥周王を
称し,雲南,貴州,四川,広西を支配下に入れたが,やがて清軍の反撃にあい,
同明末に遼東総兵として山海関を守ったが。李自成りじせいが北京を陥れる
と清に降り。清の中国統一を助け。平西王にしていた明将呉三桂ごさんけい
は,李自成討滅のため,みずから山海関を開いてドルゴンの清軍を関内に
引き入れ

呉三桂。アジア諸地域の繁栄 清代の中国と隣接諸地域 清朝の統治 中国統一 李自成
によって明が滅ぼされると。長城?は清に投降し。対清軍の
重要拠点であった山海関の門を開き。清軍を導き入れたこれを「 入関 にゅうか
ん 」という。山海関を突破することができた清軍は。呉三桂らと共に李自成
を破って北京を占領し。清は都を北京に遷して華北支配に着手した。

ヌルハチは、清の初代皇帝ですが、国号は「清」では無く、まだ「後金」でした。二代目のホンタイジヌルハチの8男の時に「清」に改めたのですが、明が滅亡する前に亡くなります。問題の事象は三代目の順治帝ホンタイジの9男の時です。ただ当時、順治帝は7歳で叔父のドルゴンヌルハチの14男が摂政をしていて軍を率いていました。この時点でヌルハチは既に死亡しているので間違いになります。正しく入れ替えるとすれば順治帝と摂政王ドルゴンになります。ヌルハチは明が滅んだ1644年には既に亡くなっています。ヌルハチの後を息子のホンタイジが継ぎましたが、彼も1643年に亡くなり、この頃の清はホンタイジの子の順治帝の時代でした。恐らく、問題の答えは順治帝でしょう。細かく言うなら、順治帝がまだ幼児だったので、正確にはドルゴンですが。「清」が山海関を越えて北京に入ったのは、「ヌルハチ」の時代ではなく「順治帝」の時代です。

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